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ハイエクとノージック



政治哲学書を漁る際に、「ハイエクやノージックなどのリバタリアニズムは~」
と言われることに壮絶な違和感があります。
この二人の思想原理は全く異なるものだからです。
そもそも、彼が自由主義と述べるときの自由主義とは経済体系としての自由主義が強く、それは
社会主義、混合経済と対置させるものです。

そもそもハイエクは経済学者であり、彼は自由経済体制を擁護したわけであってノージックのように
自由を至上の価値と置いたわけではありません。彼は徴兵制ですら擁護した人間です。
彼はバークの系譜をつぐ経済的自由主義者であり、その根本的価値を社会の維持に求めていたと
思います。
晩年の著作では周囲の批判に応じてその客観的基準に拘泥していた感はあるものの、それは主要な論点では
ありません。

さらに言えば、彼は自由を求める人間を人間の不可知性、未熟さに置いています。その中で
社会を運営するためには、市場と法の支配の下での自由が必要なのです。

一方ノージックは政治的な自由主義者であり、徹底的に自由を絶対視します。
そして、あらゆるパターナリズムを拒否する中で政府の存在を肯定するために最小国家主義を唱えます。
ロックの自然法状態での賠償原理の執行機関としての国家の必要性を認めたのです。
それは論理的に極めて精緻であり、論駁の余地は少ない。
ノージックは最終的にコミュニティ内の体制については言及せず、国家を「枠」として規定しています。
私が思うのは社会主義でも自由は作れるということです。なぜなら、市場は人間の他者の束縛を
必ずしも排さないでしょう。むしろ、他者の恣意を廃するために高度な統制経済を採ることすら考えられます。

市場という必ずしも人間の努力を認めるわけでないものを肯定するのに、自由を引用するのは、正直
筋悪ではないかと個人的には思っています。自由を両者とも「他者の恣意を廃する」と定義しているので、
矛盾はないのですが。初期のハイエクは自由を行動の幅としてみたり、やはり含意としてはあるのでは、視野
がもっと広くあるべきではと思ってしまいます。
私の考えが甘いのかもしれませんけれども。
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まとめ【ハイエクとノージック】

政治哲学書を漁る際に、「ハイエクやノージックなどのリバタリアニズムは〜」と言われることに壮絶な違和

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