スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

部族としてのAKB、柔道、体罰・・・

AKB48峯岸みなみの断髪問題、桜宮高校の体罰問題、柔道女子チームの暴力問題・・・現在の日本で論争的であり、かつ話題になっている問題というのはひとつの共通の根本原因を抉っているように見えます。
 これは、社会においてそれぞれの集団の内的な合理性を如何に扱うのかという問題です。例えば、オウム真理教で昔、ハマった学生が大衆の面前で修行と称して奇行に走っていたという問題のことを考えてみるとわかります。すなわち、彼彼女らの行動は彼らの属する集団内では至って整合的なわけです。「ルール」があり、それに反した・あるいは従った結果として行動があるということです。AKBの問題に照らせば「恋愛禁止」というルールに反したことで彼女は断髪しました。桜宮高校の例で言えば、顧問の敷いた部長として満たされる資質にそぐわなかったからこそ、彼は体罰を受け続けました。柔道女子チームとて同様の論理でパワハラを受けたのでしょう。これは挙げられた集団の中では至って「正しい」とみなされていたことが明白です。
 しかし、それらの行為は社会一般の行動規範と照らした時に整合的ではないと考えられます。すなわち、AKBの問題に照らせば直感的に「やりすぎ」となりますし、体罰問題にしても同様です。
 現状としては以上ですが、それをどう扱うかは難しい問題です。社会一般とずれたルールを採用する集団は無数に存在しますし、それは同時に魅力にもなります。「スパルタ教育の塾」「友達感覚の先生」こうしたキャッチフレーズは、全く異なる話ですが、社会一般とずれている点では同じです。多様な社会の在り方を認めているのは、多種多様な規範です。これを一方的に議論の俎上に載せ、「おかしい」と言い張ることに益があるかどうかは微妙な問題であるどころか、社会の多様性を損ねる懸念すらあります。
 結局、常識的な結論としては、社会規範の優越性を認めつつ、それが明白に法律に反するような形でなければ、これを擁護すべしというのが、これを一般論に落とした際の結論だと思います。したがって、これらの問題についても、法についての規定等に照らした、理性的な判断が必要です。決して「ルール」といったものの優位を認めては行けないでしょう。しかし、法に反しないときは、彼らの自由を、最大限認めるような寛容な考えを持つべきです。
スポンサーサイト
最近の記事
フリーエリア
あわせて読みたいブログパーツ
月別アーカイブ
カテゴリー
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

なか

Author:なか
相棒、デジモノ大好き人間です。
よろしくお願いします!
できればみんぽすで記事を評価していただけると
嬉しいです。

もっと詳しく!という人はこちら(笑

ブログ内検索
フリーエリア
    follow me on Twitter
    リンク
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。